2011年07月11日
「赤とんぼ」人身売買の曲なのか
聞いた話はもう一つあってですね。
「赤とんぼ」
「15でねえやは嫁に行き~」の部分が人身売買を思わせるから外す。(爆)
というもの。
いろいろ受け取り方はあるものだ。
でも、歌詞に定説はあるのかな? どうとでも取れる。
15歳での結婚は、現在の考え方では早すぎるけど、当時はそれほどでもなかった。
もっと前の時代はさらにそうだったことを思うと、当時の常識が今とちがうからといって、
ケチつけるのはどうかと思う。
そして仮に人減らしだったとしても、それは歴史的な事実であることには
変わりない。
「都合の悪い事は隠しちゃえ。」というのもどうかと思う。
時代の悲しい事実も子どもにはちゃんと教えた方が良い。
実際には、
奉公(家事見習い)で自分の家にきていた、お手伝いの女の子<姐(ねえ)や>が
15で嫁に行ったので、
彼女の里(実家)からの手紙も当然来なくなった。
やさしかった姐やに、おんぶされて見た赤とんぼがなつかしいなぁ。
だろうね。
友達は
いたずらして、姉(ねえ)やに追い回された桑の実畑で見た赤とんぼ。
あのおてんば姉も早く嫁に行ったよなぁ、今 どうしてるんだろうか?
赤とんぼ見ると思いだすんだよね。
と解釈していた。
でも<姉や>じゃなくて<姐や>だしね。
<赤とんぼ>
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑の実を
小籠に摘んだは、まぼろしか
十五で姐やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿の先
「これ(赤とんぼ)は人身売買の歌だって○○先生の解釈でしたよ。」
「そうか、問題起こす可能性のあるものは面倒だから、これも教科書から外しちゃえ。」
「他の当たり障りのない曲 選べば良いですね」
という会話がなされたのだろうか。
「赤とんぼ」
「15でねえやは嫁に行き~」の部分が人身売買を思わせるから外す。(爆)
というもの。

いろいろ受け取り方はあるものだ。
でも、歌詞に定説はあるのかな? どうとでも取れる。
15歳での結婚は、現在の考え方では早すぎるけど、当時はそれほどでもなかった。
もっと前の時代はさらにそうだったことを思うと、当時の常識が今とちがうからといって、
ケチつけるのはどうかと思う。
そして仮に人減らしだったとしても、それは歴史的な事実であることには
変わりない。
「都合の悪い事は隠しちゃえ。」というのもどうかと思う。
時代の悲しい事実も子どもにはちゃんと教えた方が良い。
実際には、
奉公(家事見習い)で自分の家にきていた、お手伝いの女の子<姐(ねえ)や>が
15で嫁に行ったので、
彼女の里(実家)からの手紙も当然来なくなった。
やさしかった姐やに、おんぶされて見た赤とんぼがなつかしいなぁ。
だろうね。
友達は
いたずらして、姉(ねえ)やに追い回された桑の実畑で見た赤とんぼ。
あのおてんば姉も早く嫁に行ったよなぁ、今 どうしてるんだろうか?
赤とんぼ見ると思いだすんだよね。
と解釈していた。

でも<姉や>じゃなくて<姐や>だしね。

<赤とんぼ>
夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か
山の畑の、桑の実を
小籠に摘んだは、まぼろしか
十五で姐やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた
夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿の先



という会話がなされたのだろうか。

Posted by H.B.S. at 09:18│Comments(0)
│教育、共育、協育
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。